上条城跡確認調査概要
- 所在地
- 春日井市上条町2丁目地内
- 遺跡の種別
- 城跡
- 調査原因
- 駐車場
- 調査期間
- 平成18年8月18日から9月6日
- 調査面積
- 106.5平方メートル
上条城は、春日井市上条町2丁目に所在し、現在も堀や土塁が良好に残る 中世城館跡である。建保6年(1218年)に今井兼平の孫小(男)坂孫九郎光善が築城したとされ(T12東春日井郡誌・S38春日井市史)、幕末から 明治にかけて活躍し初代春日井郡長となった林金兵衛の生家として知られる。
今回の確認調査は、埋蔵文化財包蔵地内での開発行為に伴い文化財保護法第93条に基づき平成18年6月16日に提出された「埋蔵文化財発掘の届出」を受けて遺跡の遺存状態や開発計画に対する発掘調査対象面積などの基礎資料を得ることを目的に実施した。
調査は、堀・土塁などの現況測量および土塁内側の旧建物部分を中心に5本のトレンチ(延べ125メートル)を設定した。
測量調査の結果、開発予定地内には西側と北側に良好な状態で堀・土塁が残っており、東西約75メートル・南北約60メートルを測る。堀と土塁は西側南端部でほぼ直角に曲がり東へ15メートルほど延びて途切れる。土塁は北西に櫓台と考えられる一段高い部分があり、上部には約10メートル四方の平坦面と祠(祖今井兼平を祀ったとされる)の土台(コンクリート製)が残る。櫓台からは東西方向に上部幅約2メートルと南北方向に約1メートルの平坦面が延びており、堀と土塁の比高差は最大で約6mを測る。開発予定地南東端には直径10メートルほどの土盛が確認され、上部には階段状に石が置かれる。南・東側の土塁は削平されていると考えられるが、東側の堀に関しては東端ないしは境界外で検出される可能性を示す。
トレンチ調査の結果(1~3トレンチ)、土塁内側では西側を除き屋敷基礎解体時にコンクリートを破砕した整地層が10~40センチの範囲で確認された。整地層以下には屋敷解体以前の表土や整地土(昭和・平成の屋敷建替え時と思われる)が部分的に検出され、それ以下に上条城築城に伴うと考えられる整地面が比較的良好な状態で確認された。整地面は厚さ30~40センチほどで、下位の灰~黒褐色粘質土を埋めて整地している。粘質土は北側と西側に向かい厚い堆積を示すことから、遺跡は北西側に緩やかに傾斜する湿地(灰~黒褐色粘質土層)を整地して築かれたと考えられる。一部に水田耕土と思われる層位が見られるため、水田を埋め立てて上条城を築いた可能性も示唆される。整地面を掘り込んで柱穴や溝の痕跡がみられ、整地後に屋敷地が形成されたと考えられる。また、整地面は開発予定地中央付近では2層検出されるため整地が複数行われたことも想定される。開発予定地南東端にある直径10メートルほどの土盛に関しては、土塁の一部である可能性もあり、トレンチ(5トレンチ)を設定し断ち割りを行なったが、下位整地層で瓦などが出土しており、後世の盛土と判断される。
堀の調査(4トレンチ)では、逆台形を示す堀が確認された。堀は、底部で幅7.2メートルを測り、最大50度の角度で立ち上がる。深さは現表土から最も深いところで1.8メートルを測る。堀は、初期の掘削段階から一定の期間をおいて外側へ4メートルほど埋め戻し、幅を減じる改修が行われており、堀の北端にも幅約2メートルの溝が再掘削された状況が確認された。また、現表土以下に江戸末~明治期と考えられる遺物を多量に含む層が検出され、当期での生活用品の大量廃棄が伺える。溝の最下層からは15世紀代と考えられる遺物細片が出土しているが、遺物が混在している可能性もあり、堀の掘削時期および形体については今後の調査に委ねたい。
今回の調査により、上条城は大規模な整地後に築かれたことが想定され、現存する北側の堀や土塁は築城当初とは形状が異なることや土塁内側にも遺構が遺存することが明らかになった。時期を特定できる出土遺物が少ないため、築城時期や建物の年代および堀などの改修時期は現段階で断定できないが中世から近世にかけての春日井の歴史を知るうえで良好な資料と考えられ、開発に際しては慎重な調査が望まれる。






上条城跡現況測量図およびトレンチ配置図

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