沿革、位置・面積

ページID 1004615 更新日 令和6年1月31日

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沿革

本市が位置する地域は、庄内川に沿って発達したもので、石器その他の出土品により、先史時代から人々が居住していたと思われます。市内には、二子山古墳、高御堂古墳など多くの古墳が残存し、内津、神屋、明知,御手洗など日本武尊にゆかりの地名、伝説も多く、大和王権の文化がこの地におよんでいたことをうかがわせます。

また、上条、下条といった地名は、条里制の名残りと考えられ、古代より、集落が形成されていたと思われます。古代末期から中世にかけて篠木荘、柏井荘など荘園が置かれ、江戸時代には、北部は犬山藩、南部は尾張藩に属していました。近世に入って、大池や落合池の築造、新木津用水、高貝用水の開さくなどの治水事業が行われ、新田開発が進みました。

市制の施行は、昭和18年6月1日で、太平洋戦争のさなかに、勝川町、鳥居松村、篠木村、鷹来村の4か町村が合併し、鳥居松工しょう、鷹来工しょうを擁する軍需産業都市として誕生しました。しかし、終戦により、農業の奨励や工場の誘致などに努力し、昭和25年、王子製紙春日井工場の誘致を機に、内陸工業都市として歩み始めました。

昭和33年1月1日には新市町村建設促進法に基づき、高蔵寺町(23.86km2)と坂下町(21.26km2)を合併し、人口7万人余、面積93.03km2(合併当時)の都市となりました。昭和30年代後半に入り、土地区画整理事業の推進、高蔵寺ニュータウンの建設が始まり、この頃から、住宅都市としての性格が強まってきました。このため良好な居住環境の形成に重点をおいたまちづくりを進め、昭和49年には人口20万人、平成17年には人口30万人を突破しました。その後も人口は増加を続けており、現在では人口31万人を擁する中部圏の中堅都市として発展してきました。第六次総合計画では、「暮らしやすさと幸せをつなぐまち かすがい」を将来像に掲げ、その実現に向けてまちづくりに取り組み、良好な都市環境と豊かな自然環境が調和したライフタウンとして着実な前進を続けています。

春日井の歴史についての紹介

春日井市の歴史に関する刊行物の紹介

(企画政策課・文化財課の販売分をご覧ください)

位置・面積

位置

位置

本市は名古屋都市圏の北東部にあって、市役所の位置で東経136度58分20秒、北緯35度14分51秒、海抜24mで、名古屋市、小牧市、犬山市、瀬戸市、西春日井郡豊山町、岐阜県多治見市に接し、気候は一般に温暖です。

面積

市域は東西15.7km、南北13.7kmで、その面積は92.78km2です(面積は、平成26年に国土地理院が計測の基礎となる地図を2万5千分1地形図から電子国土基本図に切り替え、面積の精度が向上したことにより、92.71km2から修正されました。)。

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