篠木第3号墳確認調査
- 所在地
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春日井市穴橋町字山本
- 遺跡の種別
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古墳
- 調査に至る経緯
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老人ホーム
- 調査期間
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令和6年4月4日から5月8日まで
- 調査面積
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222平方メートル
篠木第3号墳 篠木第3号墳は、未調査のまま削平され、詳細が不明となっていましたが、今回の調査で古墳の周溝が検出され、3号墳の一部と推定されます。かつての記録では、径約20mの円墳で、勾玉などが出土したと伝わりますが、現在では散逸しています。
篠木古墳群 篠木古墳群は12ないし13基の円墳によって構成される古墳群で、地蔵川に臨む段丘縁辺に沿って古墳が分布します。篠木古墳群の多くは詳細な記録がないまま削平され、現存する古墳は10号墳のみです。古墳群は古墳時代前期(4世紀後葉)から後期(6世紀初頭)まで存続が確認できます。
調査概要 周溝は幅約2m・深さ約0.2mを測り、北から西へL字状に延びます。これにより、これまでは円墳だと考えられていましたが、実際は方墳であったことがわかりました。検出長は東西約10m・南北約4mを測り、過去の記録及び埴輪の大きさから最大でも1辺20m程度と推定されます。遺物は埴輪や馬具(轡の引手)、須恵器(壺・平瓶)が出土しました。埴輪は「尾張型埴輪」と呼ばれるもので、その特徴から3号墳は5世紀末~6世紀初頭(H-11号窯式期)に築造されたと考えられます。
また、3号墳の南西には幅約1m・深さ約0.2mの溝(SD02)が1辺約8mの隅丸方形にめぐり、未発見の方墳と推定されます。出土遺物はわずかで、築造時期は不明です。
尾張型埴輪 埴輪というと一般的には軟質で橙色や黄色の土製品を思い浮かべるかもしれません。ところが、東海地方では硬質で灰色に焼きあがった埴輪が多くみられます。特に古墳時代中期から後期に尾張で製作された埴輪は「尾張型埴輪」と呼ばれ、成形にロクロを使用し、味美技法・倒立技法といった地域独自の製作技法を用います。一般的な埴輪との違いは製作者の出自に由来し、須恵器工人が製作に携わったためと考えられています。
まとめ 篠木第3号墳は1辺10~20mの方墳と推定され、埴輪の年代から5世紀末~6世紀初頭の築造と考えられます。今回の主な調査成果としては、詳細不明となっていた古墳の実態が明らかになったこと、円墳のみと考えられてた篠木古墳群に方墳が含まれることが判明したことが挙げられ、実態が不明な部分が多い篠木古墳群の一端が明らかとなりました。


