銅鐸 神領町・神領区
(市指定文化財 考古資料 平成元年9月25日指定)
江戸時代末期の安政5年(1858)、現在の神領保育園付近で2点の銅鐸が発見されました。そのうち状態の良い1点は地頭鈴木氏の所有となり、ここに示したもう1点の銅鐸が地元に保管されてきました。銅鐸とは本来、紐で吊るし、中に吊るした舌(ぜつ)が鐸(たく)の身に触れて音が鳴る「聞くための鐘」でしたが、次第に大型化して鳴らされなくなり、「見るための鐘」へと変化していきました。この銅鐸は高さ約92cmと大きく、弥生時代後期の「見るための鐘」で、三河・遠江地方を中心とした地域で多く発見されている「三遠式」と呼ばれる型式のものです。激しく破損していましたが、平成5年(1993)に修復復元され、弥生時代の姿がよみがえりました。残念ながら、同時に出土したもう1点の銅鐸は現在行方不明になっています。