小牧・長久手の戦い同盟
小牧・長久手の戦い同盟とは
天正12(1584)年、豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄連合軍が戦った「小牧・長久手の戦い」は、後の天下人である秀吉と家康が直接対決した唯一の戦いであることから、「真の天下分け目の一戦は小牧・長久手の戦い」と評価し、協力して情報発信をしていくなど、連携を深めるために同盟を締結しました。
令和3年11月30日、小牧市・長久手市・日進市・春日井市・犬山市の5市で結成。
令和4年1月28日、新たに尾張旭市・瀬戸市・可児市が同盟に加入。
○目的 ・戦いの知見を深める
・ゆかりの地の繋がりを深める
・日本国内外に発信し人々の往来を促す
小牧・長久手の戦いゆかりの地
太清寺(たいせいじ)
小牧・長久手の戦いにおける、春日井市のゆかりの地の一つが、「太清寺(たいせいじ)」です。
小牧・長久手の戦いの際、徳川家康が小牧山から長久手に向かう折、龍源寺(現 太清寺)の阿弥陀堂で休憩し、寺のある「勝川」という地名から験を担ぎ、見事戦いに勝利したと伝えられています。
縁起のよい「家康吉祥の地」太清寺にぜひお越しください。
太清寺の詳細はこちら
田楽(たらが)砦
小牧・長久手の戦いの際、羽柴秀吉は楽田(現 犬山市)を本陣に、小牧山を北東から包囲する布陣とし、小牧山に本陣をおく織田信雄・徳川家康は小牧山から東へ蟹清水・北外山・宇多津・田楽(たらが)の4つの砦を築いて対峙しました。
田楽砦は、長江平左衛門の屋敷を利用して、柏井・篠木の村人約2,000人を動員して突貫工事により築かれました。そして、池田恒興の奇襲により落城した犬山城主中川勘右衛門の敗残兵が伊多波刀神社に集結しているのを家康自ら出向いて慰撫し、砦を守護させたとされています。
平成28年、田楽町地内における宅地造成・道路築造工事に伴い春日井市教育委員会が発掘調査を行い、田楽砦の堀の一部を確認しています。発掘調査の成果についてはこちらをご覧ください。
※砦は現在住宅地となっており、見学することはできません。
こまなが!ちゃんねる
同盟市で、YouTubeチャンネル「こまなが!ちゃんねる」を開設しました。
戦いの歴史や、ゆかりのスポットについて、同盟市の職員が楽しく発信しているチャンネルです。下記のリンクからぜひご覧ください。
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