鵜飼邸
下街道(現在の県道内津勝川線)は、名古屋から信州、飛騨へ通じる重要な街道でした。明治の初めの頃までの内津(うつつ)には旅籠(はたご)10戸、問屋13戸を含む人家がおよそ130戸あり、尾張の東部、東濃地方にまたがる取り引きの中心として栄えました。鵜飼家は、江戸時代中期からこの地に居住し、幕末から大正初期までは、金勢丸(腹薬)、正生丸(解熱剤)などの薬を中心に、みそ、たまりなども製造していた歴史を持っています。街道に面して今も古風な薬の看板が残り、かつて栄えた宿場町の面影をしのぶことができます。
主な内容
- 種別
- 建築物
- 物件名
- 鵜飼邸
- 所在地
- 内津町91番地
- 指定年月日
- 平成10年9月16日
敷地の概要
- 規模
- 約2,000平方メートル
- 配置
- 下街道沿いに破風屋根の付いた2枚の看板を残した母屋があり、その北側には3棟の蔵が配されている。
指定建築物等の概要
- 母屋
種類 町屋
延べ面積 約280平方メートル
構造 木造2階建て、切妻本瓦葺き
建築年代 元治元年(1864年)
- 蔵
- 3棟 約310平方メートル