鵜飼邸

ページID 1008642 更新日 令和1年11月11日

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鵜飼史郎邸

下街道(現在の県道内津勝川線)は、名古屋から信州、飛騨へ通じる重要な街道でした。明治の初めの頃までの内津(うつつ)には旅籠(はたご)10戸、問屋13戸を含む人家がおよそ130戸あり、尾張の東部、東濃地方にまたがる取り引きの中心として栄えました。鵜飼家は、江戸時代中期からこの地に居住し、幕末から大正初期までは、金勢丸(腹薬)、正生丸(解熱剤)などの薬を中心に、みそ、たまりなども製造していた歴史を持っています。街道に面して今も古風な薬の看板が残り、かつて栄えた宿場町の面影をしのぶことができます。

主な内容

種別
建築物
物件名
鵜飼邸
所在地
内津町91番地
指定年月日
平成10年9月16日

敷地の概要

規模
約2,000平方メートル
配置
下街道沿いに破風屋根の付いた2枚の看板を残した母屋があり、その北側には3棟の蔵が配されている。

指定建築物等の概要

母屋

種類 町屋

延べ面積 約280平方メートル

構造 木造2階建て、切妻本瓦葺き

建築年代 元治元年(1864年)

3棟 約310平方メートル

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