神屋地下堰堤
昭和4年以降、世界経済恐慌が激化するなかで繭価が暴落すると、当時坂下町で栄えていた製糸工場が相次いで閉鎖され、その結果神屋地区の養蚕農家も大きな影響を受けました。そこで、当時の坂下町長は、耕地整理組合を創立し、政府の救済事業の資金援助を受けて内津川伏流水打上げの工事に着手しました。
工事は内津川を横切って幅約15メートル、長さ約360メートル、深さ約9メートルの地下を掘り下げ、この内に幅約 1.8メートルの粘土の堰堤を溝に沿って築きました。そしてその底土沿いに深さ約91センチメートルの丸石層を置き、さらに上部数か所に蛇籠(じゃかご)を敷き、地下水が蛇籠の間から噴出するようにして埋めました。こうして地下水を地上に導き、三筋の溝渠で耕地に導く設計をしました。
この工事に使用した膨大な量の粘土は、神屋地区内の宇蔵(うぞう)山からトロッコ軌道を敷設して運搬しました。また地下水が間断なく湧き出すため工事は昼夜兼行で行われました。
難工事であったことから、工事は3年にわたり、昭和9年3月に竣工し、その後神屋地区において稲作が可能となりました。
物件の主な内容
- 種別
- 土木構造物
- 物件名
- 神屋地下堰堤
- 所在地
- 神屋町地内
- 所有者
- 神屋水利組合
- 指定年月日
- 平成12年9月13日
指定建築物等の概要
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- 地下約9メートルの深さに約360メートルにわたり粘土による堰堤を築き、地下水を地上に導くことによって農業用水に利用するものである。