高蔵寺ニュータウンの概要

ページID 1008941 更新日 令和3年6月1日

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高蔵寺ニュータウンとは

位置

区画整理事業の概要

<ニュータウンの区域>

 石尾台1~6丁目、岩成台1~10丁目、押沢台1~7丁目、高座台1~5丁目、高森台1~10丁目、中央台1~8丁目、藤山台1~10丁目、高蔵寺町北3丁目、高蔵寺町北4丁目の一部、白山町1丁目の一部、白山町8丁目の一部、白山町9丁目の一部

※ニュータウン内区域の確認が必要な場合は都市整備課(0568-85-6306)へお問い合わせください。

整備の変遷と用途地域

主な出来事

概要

高蔵寺ニュータウン開発事業

 高蔵寺ニュータウン開発は、独立行政法人都市再生機構(旧日本住宅公団)が手がけた最初のニュータウン開発事業で、農村のたたずまいが残っていた春日井市が住宅都市として飛躍的に発展する契機となった。この事業は土地区画整理事業としては中部圏最大の規模で、単に面的基盤整備が行われたのみでなく、住宅の建設・管理、水道経営、宅地管理やセンター会社設立など多分野の業務を一地域に集大成した事業が展開されたのである。

開発地域の状況

 事業地の85%は山林・原野であったが、谷筋に当たる緩斜面には畑地や水田もあり、これらの農地が開発地域全体の10%近くを占めた。畑地や水田の耕作には溜池の水が利用されたが、溜池の名称は藤山池、高森池、石尾池等々であり、これらは高蔵寺ニュータウンの地区名としてその後、使用されることになった。名古屋圏に流入し、増加した人口の住宅建設用地として高蔵寺白山地区が選定されたのは、中央本線や愛知用水に近接している、なだらかな丘陵地がまとまって存在している、などの理由からである。

高蔵寺ニュータウンの景観形成

 最初の入居は昭和43年であり、これ以後、丘陵地の西側から東側にかけて住宅用地の造成と住宅の建設が進められ、ショッピングセンター、高蔵寺郵便局、高蔵寺電話局が設けられた。
 高蔵寺ニュータウンの中を走る幹線道路のかなりの部分は、かつての谷筋や尾根筋に相当している。また、石尾公園のように、以前の溜池(高森池)が地形をあまり変えずに用途が変化した事例もある。こうした幹線道路や公園が、高蔵寺ニュータウンの景観をかたちづくるようになった。ショッピングセンターのある中心部の近くと西側には中層ないしは高層の住宅が多く、開発が比較的新しかった東側には低層の住宅が多い。大谷川に向かって傾斜する北側は、工業、卸売業、サービス業の活動用地として広区画の土地造成が行われた。

 

 

航空写真

1 経緯

  昭和35年10月、日本住宅公団は高蔵寺地区の宅地開発事業を行うことを決定した。住宅開発のマスタープランは、土地区画整理事業を基本とする昭和36年の第一次案に続きさらに詳細な検討が行われ、39年度に第二次マスタープランが完成した。同プランでは、高蔵寺ニュータウンは名古屋市都市圏における住宅都市であって、周辺既存都市の人口を吸引する開発基準とするという位置付けが行われた。
  昭和41年2月には開発の円滑な推進を図るため、県知事を会長として高蔵寺ニュータウン開発促進連絡協議会が組織された。同協議会は国、県、公社、公団、民間団体等ニュータウンに関係する全ての機関により構成された。施行規程及び事業計画の認可は昭和41年2月に行われ、日本住宅公団施行の土地区画整理事業が開始された。事業区域は第一工区380haと、第二工区322haとに分けられた。仮換地は第一工区が昭和42年に、第二工区が45年に決定され、それぞれ工事の進捗にあわせ指定された。

2 住宅建設等

  賃貸・分譲の集合住宅の建設は、仮換地指定にあわせて昭和42年から藤山台で始まった。同地区では昭和42年から44年までの間に賃貸住宅1,303戸、分譲住宅730戸が建設された。このうち賃貸住宅は昭和43年5月に730戸の入居が始まり、6月にも570戸が入居した。7月には分譲住宅210戸の入居が始まった。以後、昭和44年から46年にかけて岩成台で1,301戸が建設されたのに続き、中央台、高座台、岩成台西、石尾台で54年までに賃貸住宅8,200戸、分譲住宅1,974戸が建設された。
  住宅専用地の分譲は、昭和44年1月の137画地に始まり、55年までに1,689画地が行われた。分譲地一画地当たりの平均面積は約323平方メートルであった。また、施行後は、建物を建築する場合の宅地地籍が200平方メートル以下にならないよう、市において指導が行われている。住宅建設、宅地分譲の進ちょくに伴い、人口は入居開始後ほぼ一年で5,000人を超え、昭和50年に約27,000人、土地区画整理事業の完了した56年5月には約42,000人となった。

3 道路

  道路網は、都市計画道路として白山線、桃花台・高蔵寺線、廻間線、外之原線、高座線の5路線、地区内延長約12キロメートル及び区画街路延長約120キロメートルが整備された。

4 公園

  公園は、特殊公園及び地区公園、近隣公園5か所、33.4ha、児童公園15か所、5.54haの整備が行われた。また、幹線街路の沿線や地区周辺部にはベルト状に緑地16か所、20.22haが配置された。このほか、幼児公園が6か所整備されている。

5 小・中学校

  小学校は、昭和43年5月に藤山台小学校が開校し、56年の土地区画整理事業完了までに9校、平成2年までに10校が開校した。中学校は、昭和45年に藤山台中学校が開校し、平成2年までに4校が開校している。また、昭和55年4月には県立高蔵寺高校が開校した。幼稚園、保育園についても同様に建設整備が行われ、昭和43年から平成2年までに11園が開園した。

6 上・下水道

  上水道の浄水施設は県事業で整備され、この浄水を受水する日本住宅公団が水道事業者となって昭和43年5月から給水を開始した。下水道事業は市を事業主体とする公共下水道事業として昭和39年に事業認可を受け着手した。

7 電力・ガス

  電力、ガスについても入居にあわせて供給が開始された。

8 商業施設

  商業施設として、スーパーマーケットと棟割店舗が、藤山台(昭和43年)をはじめ岩成台(46年)、高森台(48年)に開店した。その後、昭和59年には石尾台スーパーマーケットが開店している。センター地区の経営に関する研究は昭和47年に行われた。整備する施設としては、住民の生活に直接必要な生活利便施設はもちろんのこと、都市レジャーや教養・文化施設、集会所など住民ニーズに対応できる施設のほか公共公益施設とされた。また、地区の立地上の特性から、大規模な駐車場整備が必要とされた。
  施設の建設および管理主体については、公的機関で整備される施設を除き第三セクターによるものとされ、高蔵寺ニュータウンセンター開発株式会社が昭和48年7月に設立された。同社は、昭和50年10月に第一期工事に着手し、51年10月にサンマルシェを開業した。

9 医療機関

  医療機関は、藤山台の医者村のほか藤山台、岩成台、高森台、中央台の各住区サービスに設置された内科等の診療所および民有地で開業された一般医院により構成されている。医者村は公団が約6,000平方メートルの宅地を医院専用として特別に分譲したもので、昭和46年に内科・小児科、47年に産婦人科、歯科、耳鼻咽喉科、48年に眼科、皮膚科、50年に外科がそれぞれ開業した。

10 公共公益施設

  高蔵寺電報電話局が昭和45年10月に開局し、高蔵寺郵便局が47年4月に開局した。市役所出張所は昭和49年3月に開所し、その後、58年に建設された東部市民センターに移転した。

11 交通

  高蔵寺ニュータウン住民の主たる交通手段であるバス交通は、昭和43年5月、藤山台への入居と同時に高蔵寺駅北口から藤山台、名鉄バスセンターから藤山台南への2路線の運行が開始された。
 以後、昭和45年12月に高蔵寺駅北口から高森台を運行開始、46年7月には深夜バスの運行を開始するなど、おのおのの団地への入居にあわせ新路線が開設されダイヤも増強された。
 (以上、「春日井市史」より)

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このページに関するお問い合わせ

まちづくり推進部 ニュータウン創生課

電話:0568-85-6048
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