近藤雪竹
文久3年(1863年)~昭和3年(1928年)
江戸の人。名は富寿。字は考卿。書を日下部鳴鶴(くさかべめいかく)・ 巌谷一六(いわやいちろく)に、漢学を井上葦斎(いさい)に学んだ。中国碑法帖を研究し一家を成した。日本書道会・文墨協会幹事等を務め、書の振興に尽力した。
雪後尋梅 霜前訪菊 雨際護蘭 風外聴竹
固野客之閑情 実文人之深趣
雪後に梅を尋ね 霜前に菊を訪(おとな)う 雨際に蘭を護り 風外に竹を聴く 固(もと)より野客の閑情 実(まこと)に文人の深趣
文久3年(1863年)~昭和3年(1928年)
江戸の人。名は富寿。字は考卿。書を日下部鳴鶴(くさかべめいかく)・ 巌谷一六(いわやいちろく)に、漢学を井上葦斎(いさい)に学んだ。中国碑法帖を研究し一家を成した。日本書道会・文墨協会幹事等を務め、書の振興に尽力した。
雪後尋梅 霜前訪菊 雨際護蘭 風外聴竹
固野客之閑情 実文人之深趣
雪後に梅を尋ね 霜前に菊を訪(おとな)う 雨際に蘭を護り 風外に竹を聴く 固(もと)より野客の閑情 実(まこと)に文人の深趣