頼山陽
安永9年(1780年)~天保3年(1832年)
大坂の人。名は襄。字は子成。広島藩を脱藩、幽閉の間に学問、詩作に励む。のち京都で開塾し、『日本外史』等を執筆。書は父春水(しゅんすい)に学び、明清の唐様書道を研究して一家を成した。
沿途駅轎幾睽離 伴我山瓢独逐随
有此行装還富貴 輿窓併繋菊花枝
沿途の駅轎(えききょう)幾(いく)ばくか睽離(けいり)す 我が山瓢(さんぴょう)を伴って独り逐(お)い随う 此の行装有るも還(ま)た富貴 輿窓(よそう)併(あわ)せ繋(かか)る菊花の枝
安永9年(1780年)~天保3年(1832年)
大坂の人。名は襄。字は子成。広島藩を脱藩、幽閉の間に学問、詩作に励む。のち京都で開塾し、『日本外史』等を執筆。書は父春水(しゅんすい)に学び、明清の唐様書道を研究して一家を成した。
沿途駅轎幾睽離 伴我山瓢独逐随
有此行装還富貴 輿窓併繋菊花枝
沿途の駅轎(えききょう)幾(いく)ばくか睽離(けいり)す 我が山瓢(さんぴょう)を伴って独り逐(お)い随う 此の行装有るも還(ま)た富貴 輿窓(よそう)併(あわ)せ繋(かか)る菊花の枝